●32.「もう一度、絵を描いてみたらどうじゃ」

「そうやのぅ、おまえも会社やっとるしなぁ。300人からの社員の面倒見なならんしな」
ワシはこないゆうた。内心はがっかりや。
 浪商の野球部時代の友人で、実業家になった谷本勲のとこへ金策に行ったが、失敗や。
谷本の返答は友情あふれておったが、どうにもならん。
「悪う思わんといてや。オレ、アッちゃんのこと好きやしな」
 ほんまに辛そうな顔して、目に涙浮かべて、オレの手を力一杯握りながらそうゆうてくれた。
その頃、谷本は美術品に興味を持っておって、何十億ちゅう金を注ぎ込んで、収集しておったらしい。
 「アッちゃん。そないなことより、一度、ゆっくりとワシの集めた美術品を見てみい。
今の日本は平和や。これから、必ず文化の時代が来る。それもほんまもんの文化の時代や。
銭儲けのための文化やないで。オレも商売やって金儲けさせてもらった。
その恩返しに、いつか大阪に日本一の、どでかい美術館を建てるつもりや。
そういや、アッちゃんも昔は絵が好きやったやないか」
 ワシはそんなことすっかり忘れておった。
谷本に、ゴッホの絵や、モネの絵やといわれ、見せてもらっても気になるのは何十億円ゆう値段だけや。
 「そうやな、絵ちゅうもんもええもんや」
とワシゆうたが、なにがええもんか。ええのは値段だけや。困っとるのは借金や。
 「アッちゃん。浪商の時、絵を描いて賞もらったこともあったやないか」
谷本はえらい古いことをワシに思い出させた。
浪商の野球部に入ったんはええが、ゴンタばっかりやっとるから、すぐに休部にされてしもうた。
 暇をもてあまして、放課後は町に出掛けてはケンカするか、
他の部活に顔を出しては嫌がらせをしておった。ある時、美術部の教室をのぞいた。
「おいこら!貸せ!」ゆうもんで、キャンバスを占領して、
「なんでもええ、絵の具出さんかい。筆貸さんかい」とゆうて勝手になんや油絵を描いた。
 そないしたら、美術部の顧問の金光成文先生がワシのとこに近づいてきて、
「ほう、山本ええ絵描くやないか。なんやったっら、野球を断念して、この道に進んだらどないや」
とゆうた。けどそんなんは、「あほらし」とゆうもんや。
そん時は絵描きなんて男のやることやないと思ってた。それ以来一度も美術部には行かんかった。
 それからしばらくして、ある日の朝礼の時や。
校長が、「山本集君の絵が入選しました」という。
ゴンタやっとるワシが絵を描くなんて誰も想像もできん。
 ワシかて、人ごとやと思って、
「オイ、オレと同じ名前のヤツがおるんかい」そんとき谷本やハリ(張本勲)が、
「オイ、アツム。やっぱり、おまえのことやないか」とゆうた。
「なんでワシなんや、ぼけ」とゆうたぐらいや。
 美術部の金光先生が勝手にワシの悪戯描きした絵を展覧会に応募したんや。
その絵が入選したゆうことを谷本は覚えておったらしい。
「アッちゃん。もう一度、絵を描いてみたらどうじゃ」突然、谷本はそないゆうた。
事務所で絵を描き始める
「絵、描いてみんか」
と浪商の野球部時代の友人で、実業家の谷本勲にいわれ、ワシは組事務所に帰り、何枚か描いてみた。
もちろん絵描きになるなんてことはちいとも考えていなかった。
 なんちゅうか、ヤクザやっとるワシが昔の友達と辛うじて負い目を持たずに、接点を持てるゆうか、
共通の話題を見つけたゆうか、そんな気分や。
そんなもんでもなければ、ワシは正面玄関から昔の友人のとこに会いにいけん。
地獄で見た一本の蜘の糸や。
初めての絵は水彩画で色紙に描いた。それを持っていったら、谷本が、
「アッちゃん、ええやないか。もう一回本格的に描いてや。これで絵の具買いや」
ゆうて500万円の金を、ポーンとくれよった。
 「これはバクチしたり、若い衆にやる金やないぞ」と谷本は念を押した。
ワシ、ほんまゆうとこん時、この500万円の金に困っておった。けどこれは友情の金や。
 後ろ髪ひかれる思いで若い衆2〜3人連れて、画材屋に行った。
なんせこっちは一目見ただけでヤクザゆうカッコしとる。
 びびっとる店員に、
「オイ、絵を描く道具や絵の具やら全部そろえてくれや。何から何まで全部や。
みな日本一の絵描きが使うとる一流品やで。細かいこと聞くな。とにかく全部そろえてくれや」
こないゆうて谷本から預かった札束を放り投げた。ほんま、ヤクザゆうのは下品で厭な生き物や。
こないして、組事務所で絵を描き始めた。
「親分、何してんですか。そんなカッコ悪いこと頼みますからやめて下さい」
と若い衆にこないいわれた。なんせ絵とかそんなの全然興味ない人間ばかりや。
 こっちは絵の具だらけになりながら、
「オイ、筆洗うとけ」「その絵の具、片付けとけや」
ゆうて、なんとか3枚ほど油絵を描いて、また谷本とこへ持っていった。
そないしたら、以前に持っていった絵がちゃんとしたどえらい額に入って、
ゴッホやモネの絵の間に飾られている。
 谷本が言う。
「アッちゃん、これ、いい額に入ったやろ。どうや、ちいとも見劣りせんやろう」
ワシ、もうびっくりしたわけや。
「オレの絵もこんなにようなるんかい」ほんまにもう、身震いするくらいや。
「アッちゃん。これ画商に見てもろうたら、えらいええゆうとるで」
 田舎の、故郷の絵や。
ヤクザが写生なんてそんなカッコ悪いことはでけん。ガキの頃に見た田舎の景色や。
他の絵を描こう思うてもキャンバスに向こうて筆を持ったら、田舎の絵しか描けん。
 次に持ったいった油絵も立派な額におさまった。
ワシまたしてもびっくりや。
「アッちゃん、ここに5億円ゆう値札がついておっても人は信用する。山本集の絵やといわんといたらな」
と大笑いや。谷本がゆうた。
「いっぺん、ほんまもんの個展しようや。
ヤクザの組長の個展いうたら、みんなびっくりしよるで。やりや」

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