山本集公式ホームページ

ドスを絵筆に持ち替えて日本一の富士山に捨身で挑む異色の画家

<お知らせ>2021/12/16より「長女の部屋」OPENしました。

山本集との思い出や日々のことを綴っていきたいと思います。

ぜひお運びください。

 

 

山本集プロフィール

 

昭和15年、奈良県五條市で生まれる。

地元の小、中学校を卒業後、プロ野球選手に憧れ、大阪の浪商に進学、野球部に入部する。

同期の張本勲氏(元プロ野球選手)らと甲子園を目指す。

しかし、部員の不祥事などで一年間公式試合出場停止となり、夢破れる。

生来の負けず嫌い、一本気な性格から、

ゴンタ(硬派の不良)でも鳴らし、大阪の高校生の間で名前が知れ渡る。

 

卒業後、故郷で寿司屋と庭石屋を営みながら、智弁学園(奈良県)の初代野球部監督に就任する。

浪商仕込みのシゴキで部員を鍛えたが、そのシゴキが問題化し、一年半で監督を退任せざるを得なくなる。

練習の成果もあり、智弁学園は翌年甲子園初出場を果たす。

 

教え子の晴れ姿を喜びながらも、失意の底にあった山本は店をたたみ、男になりたいの一心で大阪の諏訪組系淡路会に入る。

男気一本で極道社会で頭角を現し、昭和48年、33歳の若さで諏訪組系山本組を旗揚げする。

大阪では武闘派として恐れられ、約10年の刑務所生活も送る。

 

浪商の同級生だった谷本勲氏から、いつまでもヤクザであることを諭され、

又、好きだった絵を描くことを勧められ、組事務所で絵を描き始める。

絵を描くうちに、純な子供の頃の思い出が次々に脳裏に浮かび、キャンバスに形となって現れた。

悩んだ末にヤクザをやめ、堅気になることを決意。平成元年、組を解散し正式に堅気となる。

 

以来、叙情的かつ壮大な画風で全国に多くのファンを持つ。

 

2011年(平成23年)12月16日永眠

 

 

 

 

 

 

 

 個展履歴

 

2012年12月 大阪 キャラリーキャナル長堀 「山本集 遺作展」

2005年10月 東京 毎日新聞社本社 アートサロン毎日

2002年 7月  東京 東京ドーム プリズムホールⅡ 

2000年 8月  東京 銀座東急ホテル

1999年12月 京都 京都近鉄百貨店

1998年11月 大阪 南海サウスタワーホテル

1997年11月 徳島 徳島そごう百貨店

1997年 8月  東京 アートミュージアム銀座

1996年11月 大阪 南海サウスタワーホテル

1995年 7月 大阪 MBSギャラリー

1994年 5月 東京 銀座シグナスホール

1993年 4月 和歌山 和歌山県立文化会館

1993年 6月 大阪 心斎橋ソニータワー

1993年 5月 東京 原宿スピリホール

1993年 4月 沖縄 沖縄リザンシーパークホテル

1992年 8月 大阪 梅田クリスタルホール

1992年 7月 東京 銀座シグナスホール

1991年10月 東京 銀座シグナスホール

1990年10月 大阪 アートギャラリープシケ

1990年 7月 大阪 松下IMPホール

1989年12月 大阪 マイドーム大阪

 

(会場名称は当時のままで記載しています)

2024.03.28 Thursday