●27.2度目の獄中生活を送る

二度目の刑務所暮らしや。
これは何度も言うが、ほんまに刑務所は辛いところや。別世界や。人の住む最底辺や。
 懲役5年くろうて、4年6ヶ月おったが、この時ほど、えらく本を読んだのは初めてや。
一番好きやったのが、吉川英治の小説や。
「宮本武蔵」から始まって、「平家物語」「新太閤記」「親鸞」「三国志」と読んだ。
 この時のムショ暮らしでは、ワシがあの元山口組系の組と事を構え、
罪状を全部背負って務めにきたのがムショ中に知れ渡っておって、
みんなが、「頭(かしら)、頭」ゆうてワシを立ててくれた。
 これだけ、立ててくれれば、ワシも悪い気はせん。
けれどそれだけムショの中でええ思いしたかといえば、そうじゃない。むしろ反対や。
みんなに立てられ、大事にされるゆうことは、逆に弱いもんを助け、他人の悩み事を聞いてやり、
字の書けんやつがおったら代わりに手紙を書いてやらなしょうがない。
 ワシのこの性格やから、理不尽なことがあったら、他人のことでも看守にくってかかる。
実際の話、看守ちゅう人種は弱い者いじめが得意や。
ここでワシが入らんとならん。そないすると今度はワシが袋叩きにあう。
あんまりド突かれて頭の線が2〜3本、切れたんとちゃうやろか。
 そうするとワシが懲罰くろうて懲罰房に放り込まれるちゅう訳や。
ほんま獄中でもシャバでも見栄を張るのは辛いことや。
 懲罰房ゆうのは、刑務所の中の刑務所や。最高懲罰は法律で60日間と決められている。
ある時、ワシは60日間、懲罰房に放り込まれた。あん時はほんまに辛かった。
 夏は暖房、冬は冷房や。室内は立っても座っても寝ても一畳や。
飯は言うに及ばん。なによりも辛いのが、話し相手がおらんことや。
人間ほんまに、腹の減ったのと、孤独に弱いことがしみじみと分かった。
 ある朝、点呼の前に目が覚めた。
鉄格子の入った狭い窓から、朝暘ちゅうにはあまりにもかわいそうな、お陽さんが顔をのぞかしよる。
 ふと見ると、ワシの目の前に油虫がおった。
なんや寝呆け眼のワシにむかって、生意気に黒い長い髭を上下に動かして、挨拶しとるようにみえる。
ワシに話し掛けてきおった。ワシ、返事した。
「あの宮本武蔵は3年間、姫路城の暗黒の倉に閉じこめられたやないか。
ワシが2ヶ月ぐらいの懲罰房生活で、根をあげてどないするんや」
 ワシ、自分に言い聞かせるようにその油虫にゆうた。
それ以来その油虫と友達になり、”鉄”ゆう名前までつけた。
刑務所では鳥とか、生き物に餌をやることは禁じられておる。
けど、ワシは隠れて、”鉄”に飯の残りを与えた。
 そないして、「鉄、何や最近元気がないのう。なんぞ心配事でもあるんか」ゆうたり、
「獄身に零落の吾
焦る心も 歳月三冬
今は吾身 不随なりとて
やがて訪れる
萌えし春に
花咲かす 肥えとなりし
此処の汗」
なんちゅう戯れに作った詩を読んだりしては、油虫の鉄に感想なんぞを聞いたもんや。
こんな場面、社会の連中が見たら、山本集もついに頭がおかしくなったかと思ったろう。
娘の高校受験合格を獄中で知る
「落ちぶれて、袖に涙のかかる時。人の心の奥を知る」
ゆう誰が作ったか知らんが、ええ歌がある。
ワシも、辛い獄中生活やったが、人様の情に触れたゆうか、うれしいこともあった。
 そのひとつは、あのハリ(張本勲)が念願の巨人入りしたニュースや。
ワシと一緒に浪商の野球部できつい練習に耐え、ずーっと巨人に入りたいと思っていたんや。
ハリは高校2年の時、巨人のスカウトに見込まれたほどや。
 しかし、ワシがゴンタばかりやってるもんやから、ハリまでワシのとばっちりくって、
いざ甲子園に出場ちゅう時に、休部にされてしもうた。
 ワシが思うには、こん時のことがあったんで、ハリは巨人に入れなかった。
いってみれば半分はワシの責任や。
ワシは、これでやっとハリも夢がかなったなと思い、心ん中で手を叩いたもんや。
 同じ房の連中の情に胸うたれたのは、ワシの娘が高校を受験する時や。
「山本さんの娘さんが入試に合格するようにみんなで手を合わして、祈ろうや」
と同じ房の人間が言い出してくれた。
 「何が手を合わすや。指がちゃんと5本ない人間が手を合わしても、ご利益なんぞあるもんかい」
などと言いながらも、みんなで祈ってくれた。
 シャバでは、悪いことばかりやり、神様も仏様も見捨てたような連中や。
けど、こいつらが人の娘のために手を合わしてくれる。地獄での仏頼みとは、このこっちゃ。
 初春とはいえ、底冷えのする季節や。獄の窓ガラスもまだ白く曇っている。
いよいよ娘の受験当日や。
曇りガラスのあちこちに、『祈、山本さんのお嬢の高校受験合格』いう指文字が書かれたんは。
 ワシは、「あほたれ、おまえらに祈られたんじゃ。受かるものも落ちてしまう」
と悪態ついたが、涙見せんようにすんのにどんだけ苦労したことか。
 受刑者にとって、身内からの手紙は一番うれしいもんや。
けど女房に手紙を書けても、子供には絶対書けん。
自分の子供からきた手紙はそれこそ手を合わして、涙でぐちゃぐちゃになるまで読むが、
子供に返事を書く苦労ゆうたら、言葉ではとてもよう言い表わせん。
 人を殺めた人間でも、世間の人間が見たら、ひきつけを起こすような、鬼瓦みたいな顔をした男でも、
この時ばかりは目に涙するもんや。
 そしてワシのところにも娘から手紙が来た。
「拝啓。おとうさま。私は無事に高校受験合格しました」
ワシ、その後の字が読めん。涙がカーテンしよる。
ポタポタと水滴が、娘の丸文字ゆうのか、薄いピンク色の花柄のついた便箋に落ちよる。
丸文字のインクがワシの心ににじみよった。
 それからしばらくして、刑務所内で、
「山本さんのお嬢が受験合格しよった。万歳!万歳!」ゆう声が響きわたった。
普段はクソ憎たらしい看守までが、「山本君、おめでとう」と言いよった。
ワシは、「アホたれ、おまえらに祝福されたら娘の将来が心配や」
ゆうたんやが、心の中ではうれしくて、うれしくてしょうがなかったんや。

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