●29.父親が死に際に見せた顔

あれは元山口組系の武闘派の組との抗争中のことだった。ワシの実の兄貴から電話が入った。
「アツム、心して聞け。めったなことではオレはおまえに電話はしない。
家族はみんな、おまえはもう死んだ人間や思うている。
死んだ人間に電話するゆうのも変な話しやが、実は親父が危篤だ。
もう長いことはない。どうするかはおまえが判断しろ」
 ワシの親父ゆうたら、
教育者でワシの故郷である奈良の五條市の南宇智村丹原いう村の村長までやったことがある人や。
先代からの材木屋をしっかりと受け継ぎ、ほんまに立派な人やった。
 バクチ、女はもちろんのこと酒も飲まん。
ワシなんかガキのころからゴンタもんやったが、親父に一度も殴られた記憶がない。
兄貴はこの親父によく似ておって大学をでて学校の先生になり、
そのあとで生命保険会社にスカウトされた堅物や。
 親父が危篤と聞いても、普通のワシやったら気にもかけんかったやろう。
ヤクザやるゆうことは実の親と縁を切ることや。ワシかてそのくらい覚悟のうえで極道になった。
けどそん時のワシはちいと違った。
あの元山口組系の組と事を構え、死んだるゆうて、目のまわりに隈をつくってピリピリしておった。
いうてみれば魔がさしたんやろう。
 ワシ、ふらふらと実家に行った。親父はもう虫の息やった。
お袋や、兄妹、親戚、村の有力者、材木屋の番頭なんかが家に詰めておった。
兄貴はワシの顔を見るなり、ちょっとだけ戸惑った表情をみせたが、何も言わずに、
「上がれや」とゆうた。
 ワシ、親父が病臥しとる座敷に通された。ガキのころよく悪さしてかけずり回った部屋や。
家のかすかな匂いも、懐かしいゆうか、ワシの記憶にある匂いや。
親父のまわりには、お医者さんと看護婦さん、それにお袋、姉や伯父連中がいた。
ワシは兄貴の背中に隠れるようにして、でかい体を縮めながら正座した。
 最後に会ったのはいつか。15年か20年前か。それさえ思い出せん。
シワクチャになった親父の顔は穏やかな表情をしている。病のせいか、体全体が小さくなったようや。
 お医者さんの聴診器が心細そうに、親父の最後の心音を拾っている。もう意識はないやろう。
お袋が親父の耳に顔を近づけて言うた。「お父さん、アツムですよ」とその瞬間や。
親父が目を見開き、顔をこちらに向けた。ワシ必死になって兄貴の肩に顔を隠した。
けど親父はワシの顔を見逃さない。
 すごい形相や。ワシを睨みつけた。こんな怖い親父の顔は、ワシ生まれて始めて見た。
「ご臨終です」医者がポツリと言いよった。
気性の激しいお袋の心づかい
一度は、ヤクザから足を洗おうと決心したが、やはり、やめることは簡単にはできんもんや。
結局、諏訪組の本家の若い衆になり、また山本組を構えた。
直参のワシの若い衆も50〜60人に増えよった。ここでまた苦労したのが金や。
 淡路会におったときも金では苦労したが、
なんやかんやゆうても親分である淡路会の会長が面倒見てくれた。
それに淡路の町にはワシのファンもようけいた。小遣いには不自由せんかった。
覚醒剤はアカン。女で飯食うのはアカン。こないゆうとるから、若い者もシノギづらいゆうてくる。
 そのころからヤクザ社会の流れが急速に変わってきた。
義理や人情ゆうても銭がないことには話にならん。
ヤクザ組織も次第に企業化されるゆうか、
いくらケンカが強くてもだれも認めてくれんどころか、迷惑がられる時世になってしもうた。
 ある時、どうしても2000万円が必要になった。いくらかき集めても、あと300万円足らん。
ワシ、恥を忍んで実家のお袋に、金の無心に行ったんや。
 ワシのお袋ゆうのは親父と正反対の性格で、気性の激しいおなごや。
北海道のお寺の娘に生まれて、道産子娘特有の面倒見のよさゆうか、男勝りの性格や。
 かつて、うちらの村に、ある新興宗教が入ってきた。
ここはえらい過激で、仏壇を焼き払ったり、先祖の墓を掘り起こしたりしよる。
これは許せんゆうて、一人でその新興宗教の会合に乗り込み、抗議し説教した武勇伝があるくらいや。
 そしてお袋は機会あるごとに、
「アツムがあないして、ヤクザになってしまってのは、自分の因果や」
ゆうていつも仏壇に手を合わしていたとゆう。
 ワシは深夜に実家の敷居をまたぎ、金を無心した。すると、お袋はほんまに辛そうにこないゆうた。
「情けない。ヤクザゆうても、
ちゃんと一家を持って、親分といわれとる男がなんで300万円ぐらいの金のことで来るんや。
1〜2億円の金がないんやったら分かる。そないな子に育てた記憶はない」
ワシは黙って俯いとるしかない。
 「まあええ。今夜はもう遅い。床をひいてやるから寝ていけ。
ただし、お日さまの昇る前にこっそりと出ていけ。誰にも顔を見せんとな。誰にも挨拶せんとな。
おまえにはそれが一番、似合うとる」
 実のお袋にこないゆわれて、こんな情けないことはない。
翌朝、コケコッコーも鳴いとらんうちに、こそこそと抜け出そうと、起きた。
そないしたら、ワシの枕もとに、きっちりと300万円が置かれておった。
 ワシは手を合わせてその金を懐に入れて、お袋との約束通り、
音も立てずに忍び足で背中を丸めて実家を出てきたんや。

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