●8.四苦八苦して五万円を集める

 「金なんかどないでもしてやるわ。ワシに任しとき」
とハリ(張本勲)に大見栄を切ったのはいいが、当時の金で5万円もかかる。
これはハリも知らんことやし、もう時効やから初めていわせてもらうが、
まず、大阪のゴンタ(不良)仲間集めてバクチをした。
トランプのオイチョカブや。
ワシが親で、カード配って金賭けさせる。そないしたら、
「カブや!」いうのが出てくる。
みんなの手札を見させてから、ワシはおもむろに、
「クッピンや(カードAと9で親の総取りになる)」いうて賭け金を全部取る。
もちろん自分の手札は見せない。みんなワシが怖いからよう文句も言えん。
ワシの手札がカスばっかりでも連戦連勝や。
 けど、しょせんゴンタの学生相手のインチキバクチでは、5万円も集まらん。
当時、ワシの若い衆みたいなのが10人くらいおった。こいつら集めて、
「オイ!恐喝でもなんでもしてこい。とにかく金がいるんじゃい。行け!」
ゆうて、四苦八苦してなんとか金を集めた。
こうして5万円が集まった。ハリには、「親から借りた」
ぐらいのことゆうて金渡したんとちゃうか。
こないして、とにかくハリは在日韓国人の野球チームに入って韓国に遠征した。
向こうの新聞にハリがホームラン打ったと写真入りで載っとった。ほんまにうれしかった。
これがハリの甲子園やった。
プロからも誘いがあって、本当はハリは巨人に行きたかったんやが、東映フライヤーズに行った。
ワシが極道しとる時、ハリは巨人に移籍したが、この時、ワシは刑務所におった。
「ハリ、やっと念願がかなったのう」
と思うと、鼻柱にクーンと、五感の血が集まって暑くなりよったもんや。
 東映フライヤーズに行くと決まって、球団から3万円の給料がもらえるゆう。
そのころ、3万円いうたら、サラリーマンの半年分の給料や。
いよいよ契約金の話になった。ハリは、
「10万円くらいくれるかな」不安げに、ワシに聞いてくる。
「早実の王貞治が、何百万円と騒がれとる。オマエは日本一なんやから、同じだけくれと言うたれ。
面と向かって言えんかったら、横向いて言えや」と言うてやった。
ほんで200万円もらった。びっくりしましたわ。
 そして、いよいよハリが東京へ行く当日、先輩や後輩やみなで大阪駅へ見送りに行った。
ところが、ワシらがケンカした大学生たちが集まっている。
「ハリをこのまま東京へ行かせるもんか。東京へ行かせん、ハリだけエエカッコさせん」
とゆうてる。そやけどハリを東京へ行かせんわけにはいかん。
この時こそワシの出番や。
「よし、アンタらも大学生や。ワシはハリを行かせんわけにはいかんのや。
どんな話でも受けるから、ここはひとつアンタらも男として、恨みつらみは別として、
行かしてや、行かしたってくれや」
と大勢のいる前で地べたに頭をつけた。さすがは大学生や、
「分かった」とゆうてくれた。
ワシは後にも先にも地べたに頭つけて頼み事をしたのはそん時が初めてや。
そんな時でも、さすがにハリや。えらい能書きを言いよった。
「浪商の張本も男です。今度帰るときは必ず錦飾って帰るから、見とってくれ」
大勢に見送られ、ボロボロ涙流して別れたんですわ。
智辯学園野球部初代監督に就任
 ハリ(張本勲)は念願のプロ野球選手になったが、ワシは甲子園にも行かれへんかったし、
プロ野球からも声がかからん。ゴンタばっかりやっていた。
何度も停学になって、本来なら放校処分になってもおかしくないぐらいのワルやったけど、
まあなんとか浪商を卒業させてもろうた。
 けど、こんなワシにもスカウトは来た。大学の空手部や応援団からや。
プロ野球の選手になりたくて大阪に来たのに、こんな話、人にゆえん。
やっぱり、まだ野球に未練があった。
 ちょうどそん時、ワシらをかわいがってくれた浪商の中島前監督が、
大阪の経済大学の野球部の監督をしとった。まあ、この大学の野球部は弱かったが、
監督の顔もあるし、経大で野球をやろうと思った。
そないして大学出て田舎にでも帰り、体育の教師でもなろうと考えた。
 入学する前に、経大の野球部へ練習いうんか、遊びに行った。
「浪商のヤマモトアツム」ゆうたら、
当時、大阪のゴンタの間じゃ知らんもんはおらんぐらい有名やった。
大学生の先輩達は一目置いてくれるどころか、上手さえゆうてくれた。
ある日、練習を終えて部室に行ったら、先輩が後輩をシゴいていた。
10人くらいで、2人の1年生をどついておった。
ワシはシゴキは好きやが、大人数でやるのは好かん。これは単なるいじめや。運動部の男のやることではない。
 それでワシ、とっさに、「もうええやないか」と止めに入った。
相手もワシと知りながらも、やっぱりカッコつかんと思ったんやろう。
「何や。おまえまだ入学しとらん高校生やないか。口挟むんやない」
こないゆわれて、カーときてしもうた。ワシ、中島先生の事も忘れて、
そこらにあったバット拾うてその先輩方、みんなをひっぱたいた。
そないしたら先輩の一人が二十何針縫う大けがしてしもうた。大問題になった。
「アカン、中島先生に合わす顔がない」
こない思うたが、もう手遅れや。
これで大学で野球する話も、大学を出て教師になる話もみんなイッペンに消えてしもうた。
 こんなことがあって、ワシはんまに反省した。
「ゴンタも、年貢の納め時や。ワシも親孝行せにゃしゃあない」と思うて、
神戸の材木屋に丁稚に行った。
ほんでもワシ、なんかあるとすぐカッとなる瞬間湯沸かし器みたいな性格でっしゃろ。
材木屋に入って14日目に集金行かされた時、この息子が、これまたゴンタで、
オヤジに金たかっとった。
このオヤジもゴンタの息子になんぼでも金渡しやがる。
「エエカゲンにせんか。オマエ、親のカネ取るな!」
ゆうて親の前で、ゴンタの息子ド突き倒してしまったんや。
それでもう材木屋の親方んとこえ帰れん。得意先の息子、ド突いたんやから。
しゃあないからその足で故郷の奈良へ帰った。
 実家も材木屋やってたが、毎日ブラブラして、暇と体力持て余して、またケンカや。
警察が来て、公務執行妨害やら傷害やらで捕まってしもうた。小さい町のことやから大騒ぎですわ。
親が情けない顔して、警察に呼ばれた。
身柄を引き受けてもろうたが、警察出て、信号待ちしてる時に逃げたんや。
 それから、丸善石油に入って社会人野球をやったり、まあいろいろなことがあった。
でもやっぱり野球がしたいゆうんか、未練があった。
そないしてたら中学の恩師から、
「今度、智辯学園ゆう高校ができる。そこに野球部も作って、熱入れるゆうとる。
アッちゃん、心入れ替えて監督やってみんか。一回、そこから甲子園行きや」
と言われた。
 24,25歳のころだった。うれしゅうて、そりゃあ張り切った。
ところが、智辯学園に行ってみたらグラウンドゆうてもタンボならした石ころだらけのところだった。
部員も150人くらいおったけど、みんな1年生で、しかも野球どころか、
キャッチボールもしたことないような連中ばっかりや。
「どないしたらいいんや」
とさすがのワシも途方に暮れてしもうた。

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