●7.出場停止に自殺まで考える

「甲子園に出れんのやったら、死のう!」
ハリ(張本勲)とそう言い合って、深夜の淀川べりを歩いた。
ワシもハリも甲子園に出たい一心で、親兄弟の反対を押し切って浪商に来て、
シゴキの練習に耐えてきた。
それが突然、1年間の公式試合出場停止や。
目の前が真っ暗になった。生まれて初めての大ショックや。
「死のう!」
ゆうたんはワシの方からか、ハリの方やったか忘れてしもうたが、ほんまにそう思い込んだ。
それでや、ユニホームのポケットに淀川の河原の石を目いっぱい詰め込んで、
そのまま淀川に飛び込もう言い合った。
今、思うと笑い話にもならん。
けど、ひょっとするとワシもハリもあん時で死んでしもうたかもしれん。
今でこそ殺しても死なんような顔してますけどな。
 ところが、自転車で巡回しとるお巡りさんに見つかってしもうた。
「コラ!お前ら何しとる!」ちゅうんですわ。
なんか、高校生がゴンタしとる思うたのかもしれない。
それでお巡りさんに泣きながら事情話した。
そのお巡りさんも九州出身のエエ人で、屋台のラーメンごちそうしてくれながら、
「ワシも田舎から出てきて、この仕事に入ったけど、いやなことばかりや」
と、人生観とやらを論してくれた。そして、家まで送り帰してくれた。
 家に帰っても口惜しくて涙が止まらん。
四畳半の畳かきむしって、10本の指のツメから血が出るほど泣きましたわ。
 ワシやハリは、浪商野球部の1年生の中から10人ほど選ばれたうちに入っていて、
たまたまバッティングやノックもさしてもらえる有望選手だった。
当時の中島春雄監督にも気に入られてた。
ところが浪商が1年間の出場停止くろうて、監督が代わった。
新監督は真面目すぎるほどの人や。そうすると監督にも好みゆうもんがある。
なんとなくワシやハリはのけもんにされるようになってしもうた。
大阪の人間は口だけは達者や。
ハリもワシも田舎もんやから、ようしゃべられへん。口が出る前に手や足が先に出てしまう。
 やっと2年生になった。
今までさんざん上級生にシゴかれてきたから、この時とばかりに新入生をシゴいた。
ワシなんか先頭たってシゴいた。
ところが、新監督はこのシゴキを怖がって、すぐに、「やめとけ」と言う。ワシかて素直に聞かん。
「なんでや。シゴキが浪商野球の伝統やないかい。ワシらかて加減してシゴいとるわ」
新しい監督に何か言われると監督に食ってかかる。
野球のことやったら、中島監督のところへ相談に行く。
新監督にしてみれば、頭越しにされた思いますやろう。で、余計、目ェつけられる。
「そんなら休部や」
「オオ、上等や」
どうせ甲子園に出られんのや。かまへん。
そないしているうちに、ワシは練習行かんようなる。時間と体力持て余す。
街へ出てヨソの人間とケンカする。
こないしてワシのゴンタが始まった。
けど、そんな時でもハリは一人で黙々と練習してましたがな。
甲子園出場をスタンドで応援
 浪商の野球部が1年間公式試合出場停止になって、ワシのゴンタが始まった。
どうせ試合はできんのやから、と練習サボって街に出る。
なんせ目立つから、不良しとる連中にガン飛ばされる。
すぐケンカや。
体力を持て余しとるから、必ず勝つ。
それで自信ができて、またケンカしとうなる。相手はヤクザでも大学生でもかまわん。
 そのうち ″浪商のヤマモト・アツム″ゆうたら、
大阪のゴンタの世界では知らんもんはおらんようになった。
 ハリ(張本勲)もケンカは強かったが、やっぱりあいつの頭の中には野球しかなかった。
ワシらが3年生になったとき、やっと出場停止が解けた
夏の大会に備えて、また猛練習を始めた。ともあれ、あこがれの甲子園や。
 ところが、ハリとワシは突然、監督に呼び出され、
「チームから外す」言われてしもうた。
「なんでや!」
ハリもワシも食ってかかった。しかし、もう休部扱いされてしもうとる。
ハリが暴力事件を起こしたちゅう情報が流されたが、これはデタラメや。
 今になって考えてみれば、ワシはゴンタやって停学にもなっとる。
ワシとハリは大の親友やったし、一緒にワシの家に住んどる。
それで、ハリも同じように見られてしもうたと思う。
シゴキと部員のケンカが原因で1年間の出場停止が解けた直後に、
またワシがケンカでもしたら、また出場停止や。危険分子を遠ざけておこう思うたのやろう。
 その年、浪商は大阪の地区大会で優勝して、甲子園に出場した。
昭和33年のことや。ワシとハリも涙流しながらスタンドで応援しとったが、
1回戦で魚津高校に2対0で負けてしもうた。
だれかれなく、
「ハリがいたら負けんかった。優勝しとったかもしれん」とゆうとった。
確かにハリが出場しとったら、ほんまにホームランの記録作っとったやろう。
高校生のレベルは超えとった。
こないして、ワシらの浪商野球いうんか、甲子園の夢は終わったんや。
 その直後やったろか、ハリが
「アツム、相談ある」とマジな顔でゆうてきた。
「なんや」ゆうたら、
「実は、オレ韓国人なんや」ちゅうんですわ。
初めて打ち明けられて、
「えぇっ?」
とワシも驚きましたがな。
それで、在日韓国人ばっかりで野球チーム作って韓国に遠征すると言う。
「オレの最後のチャンスや。オレの甲子園や。行きたい。何が何でも行きたい」
と、ハリは真剣に話す。
 しかし、行くには当時の金で5万円いるという。
高卒の給料が6000〜7000円の時代に、高校生がおいそれと作れる金やない。
けど、ワシはこうゆうた。
「行けや。金ぐらいどないでもしてやろうやないけ。ワシに任しとき!」

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