●2.堅気の時、日本刀振りかざして殴り込み

ワシはその時、カーッと頭に血が上って突っ走った。
手本引きちゅうバクチで負けた金が7000万円。昭和39年のこと、今の金にすると何億やろか。
ワシが24歳、まだ堅気のころの話や。
 負けたのはええ。しかし、それがイカサマやと分かった。許せん。
考えてみれば、ワシはカーッときて突っ走ってばかりいた。血がたぎると抑えがきかん。
純粋といわれれば褒め言葉やが、要はアホで単純なんや。
 それでその賭場を仕切る組の親分の家へ夜中、日本刀振りかざして殴り込みに行った。
「親分はおるかい」ゆうと、姐さんが出てきた。
「休んではるわ」
「じゃ起こしてくれ、二階かい」
細い階段の二階、息もいれんとトントンと上がっていった。
その勢いでバーッと部屋に入っていくと、親分はワシの日本刀を見て
「何やそんなもん持って」と布団からはねおきた。
「ワシの金だまし取りやがって、何が親分じゃい」
と日本刀を振り上げると、親分は跳んで逃げおった。
今になって思うと日本刀というのはチャカ (拳銃) より怖い。
勢いでバーッと入っていくと、親分は逃げ場に事欠いて、ベランダから仰向けのまま庭へ落ちよった。
バンバンバーンとえらい音がしおった。こっちもビックリするくらいや。
ワシは下におりていって、
「オンドリャー、どんなつもりでイカサマしたんじゃ。殺したる!」
と、また刀を振りかざした。
そしたら姐さんが 「命だけは勘弁してやって」とワシの足にしがみついてくる。
親分は腰うって、足三カ所ほど折やった。
ウソかほんまか死んだマネしとったんちゃうやろか。
 親分は動かれへん。それで一緒に医者へ行った。
入院しとって、親分は病床で 「もうヤクザやめる」 と言いよった。
それでもイカサマしたとは言いよらん。
でも、堅気の人間に寝込みを襲われて、格好つかんちゅうてほんまにヤクザをやめよった。
 これはヤクザになる前の話や。
堅気が組の親分のところへ殴り込みに行ったことで、町中のウワサになった。
 末はプロ野球選手になってやろうと、浪商の野球部でハリ(張本)とともにシゴキに耐え、
智辯学園(奈良県)の初代野球部監督もやった。
智辯では浪商ばりのシゴキがきつすぎるちゅうてクビ。
ただ同然の石を拾い集めては庭石として売ったら、これがえらい儲かった。
バクチで負けたのもこの金や。
庭石やから極道に足を突っ込み、ついには武闘派といわれる組長にもなった。
 ドスをくくり付けた右手には、今は絵筆を握っている。
こないゆうたら笑われるかもしれんけど、
バット握るのも、ドスを握るのも、絵筆を握るのも、みんな同じワシの手や。
ワシが握ったもんは、たったひとつや。それは ゛死に物狂い ゛ というこっちゃ。

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