●1.著書 西の空からコケコッコー から

 人生50年というが、ワシはそのうち約30年も不良ばかりやってきた。
不良が高じて、しまいには本物の極道になってしまったが、純粋な野球少年だった時もある。
プロ野球選手にあこがれ、奈良の山奥から大阪の浪商に入った。
腕っぷしは強かったから、野球部の練習がおわってからもケンカや。停学も数え切れんほどあった。
そんなこともあってか、浪商野球部は一年間の出場停止を食らってしまった。
 一生懸命といえばカッコ良すぎるが、ワシは何でも力いっぱいやるのが好きや。
野球もケンカも力まかせだ。力を入れすぎて失敗する。智辯学園の初代野球部監督もやったが、
シゴキが厳しすぎるといわれて首になってしまった。
野球ができなくなったら、ワシにできることは不良しかない。
ケンカ、恐喝、バクチ ……… 不良の道を突き進めば、極道になるしかない。
 「男になりたい」の一心で、山本組も旗揚げした。
とはいえ、極道社会はそんなにカッコイイもんやない。命を落としそうになったことも何回かある。
頭のテッペンにあるハゲは、拳銃の弾がかすった跡や。刑務所暮らしも3回した。
両手の小指もない。恥じることさえあれ、天に誇れることは何ひとつない。
この五十年の半生で残ったものは、前科と背中の金太郎さんの彫り物だけや。
 こんなワシにも友人がいた。浪商同期の谷本勲だ。
「なぁ アッちゃん、いつまでヤクザしとるんや。
絵描くのうまかったやないか。絵描きになったらどうや」と勧めてくれた。
最初は極道が絵なんか描けるかい、と思ったが、
描いてみると懐かしい故郷の山と空がキャンバスに浮かび上がってくる。
「親分、カッコ悪いからやめて下さい」と子分からもいやがられたが、絵を描くことにのめり込んだ。
そして、組を解散して画家になる決心をしたんや。
 元極道の画家なんて世間様のモノ笑いになるかもしらん。
けど、極道が法務大臣になるわけやない。画家になるくらいは笑って許したって欲しい。
 
 「西の空からコケコッコー」なんて、けったいなタイトルや。
陽は東の空から上り、ニワトリが鳴く。けど、地獄に落ちた男が生まれ変わって、
西の空から夜明けを告げる覚悟なんや。絵描きになった以上、日本一の画家になるしかない。
それが、谷本はじめ温情をかけてくれた人々に報いていく唯一の道や。

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