梅雨の風景

今日、ようやく梅雨らしい梅雨空となりました。
最近は、昔のように春夏秋冬がはっきりせず、日本独特の風情が無くなって来たように思います。
しかも、久しぶりの恵みの雨。
柿や梅、米と雨を欲するものたちが首を長くして待っていた雨。
しかし、ニュースから聞こえてくるのは山本の第二の故郷でもある和歌山県那智勝浦町の暴雨に
河川の氾濫など決して喜ばしいものではありません。
近頃は、気象変動が激しく日本全国を訪ね歩いた山本も、胸を痛めていることでしょう。
地球温暖化がこの気象変動を招いているならば、温暖化が進まないように
我々が真剣に取り組まなければいけないだろうし、日本国も日本独自の美が失われる前に
アメリカに賛同を求めなければなりません。
ああ見えて、日本はもちろん世界の動きに興味を持っていた山本です。
生きていたなら、あちこちで声を上げただろうに・・・と思うばかりです。

DVDコレクション!?

先日、山本集が映画好きだったというお話をしました。
そう言えば・・・。
アトリエ二階には、山本の数々の愛読書と一緒に、映画のDVDもいくつかあったことを
思い出し、今回その一部を写真に収めてみました。
正直、1番多いのはやはり任侠もの、極道もの(汗)になりますが、
それでは普通!?すぎて面白くないので、私たち目線の普通の作品の中でのチョイスです。
この写真にはありませんが、「ショーシャンクの空に」が結構気に入ってた様子で
「ショーシャンクみたいなヤツを借りてこい」と指令を受けたことも(笑)
晩年は、北野武監督作品の「アウトレイジ」も、よく観ていましたね。
あ・・・これも極道物でしたっけね(苦笑)

1周忌法要

昨日の6月4日、文子お母さんの1周忌法要を執り行いました。
山本集に一目惚れされた純真な田舎の娘だった文子お母さん。
初めてのデートの先が、山本の実家で両親に会うことだったと聞きました。
しかし、文子お母さんの家族は2人の結婚に反対したと言います。
当時、たまたま(!)サラリーマンだった山本集でしたが、
その素行の悪さは、奈良の五條では相当有名で
結婚相手としてふさわしい相手かどうか聞合わせを行った文子お母さんのお兄さんは、
近所の人から・・・
「警察の人ですか?またアッちゃんなんか悪さしましたん?」
と聞かされたとか!!!
それでも、文子お母さんを娶ると決めた山本は、その想いを貫くのでした。
それからの波乱万丈な結婚生活は、山本集の人生以上だったのではないかと想像できます。
そんな文子お母さんが亡くなって10日でちょうど1年。
今度は、穏やかな人生を送っていることを願うばかりです・・・。

仁義なき戦い!?

さて、山本が何才くらいの時の写真でしょうか。
アルバムを眺めながらふと「仁義なき戦いの中の人みたいやなぁ」と
印象に残ったのでここで披露させていただくことに(笑)
山本の青春時代は、映画全盛時代と言っても過言ではなかったようで、
東映の任侠映画に始まり、「仁義なき戦い」のようなヤクザ映画と
今の時代に観ても、つい見入ってしまう作品ばかりだったように思います。
以前にも、書いたかもしれませんが、山本は無類の映画好きで
洋画、邦画はもちろんジャンルに関わらず映画そのものを楽しんでいました。
(お孫さんと一緒に、「スパイダーマン」も観てましたよ)
そのせいか、TSUTAYAに行くのが好きでしたねぇ。
ビデオ、DVDそれに本まで揃っているのですから。
山本が亡くなる前、片手には杖を、もう片方にはお孫さんを支えにしながら観たい映画を探していました。
今頃、憧れの俳優さんたちも随分増えたあちらの世界を堪能しているに違いなさそうですね。

大阪のアトリエ

画家になっての最初のアトリエは、大阪府吹田市にありました。
江坂駅最寄りのマンションの一室です。
(駅に近くても、山本には関係ありませんでしたが・笑)
このアトリエには、山本の弟子はもちろん自分の将来の夢を語る若者が
たくさん訪ねてきてくれました。
山本が特に言葉で語るわけでなく、黙々と絵を描く姿を見せるだけ。
そんな場面も多々ありました。
当時の若者は、きっと自分の夢を掴んで次の世代に繋いでいることと思います。
そうそう、ああ見えて山本は料理好きでして・・・(笑)
夜にお腹を空かせてやってくる若者たちに自分の手料理を振舞うことが
楽しみでもあり、自分の明日への活力となっていたようでした。
懐かしいですね〜

オンラインショップ再開のお知らせ

23 桜島 F10号

28 富士 M10号

みなさま、たいへんお待たせいたしました。
オンラインショップに山本集晩年の作品10点をご紹介いたしております。
いずれも、すでに額装を済ませておりますので即納できます。
(作品代金のご入金確認後になります)
この機会にぜひ再び山本集の描く様々な世界をご堪能ください。
■オンラインショップ内の作品画像をクリックいただくと
大きなサイズで作品写真をご覧いただけます。

アトリエの風景

山本集が亡くなって今年の12月で七回忌を迎えます。
月日が経つのは早いもんですねぇ。
山本が亡くなった時に、近しい友人のみなさんには形見分けをさせていただきました。
しかし、一切手付かずのままの場所があります。
それが、山本が生きた証の場所アトリエです。
写真にあるように、6年前に吸っていたタバコの吸殻から
アトリエで作品制作の際に履いていたスニーカー、汗を拭いたタオル・・・
遺されたものは数え切れません。
七回忌を機に、少しずつアトリエ内も整理しなければいけませんね。
絵の具に塗れた作務衣も、無造作に脱がれたままです。
まだそこに山本が存在しているかのようなアトリエの風景。
整理する前に、少しずつご紹介していきたいと思います。

ゴールデンウィークの予定

今年は良いお天気に恵まれたゴールデンウィークとなりました。
山本の生前、GWと言えばゴルフ。
全国各地から仲間を呼び寄せ、奈良の五條でゴルフ三昧でしたね。
そして、5月5日のこどもの日には、文子お母さん作の田舎巻き寿司を頬張るのです。
その田舎巻き寿司は、ご近所さんにも好評で(ま、元は寿司屋ですからね)
朝から台所で、ひたすら巻き寿司を巻く文子お母さん。
その姿も今年からは見ることができず、やはり寂しいGWになるところ、
新しい恒例行事ができました!
と、いうのも代々山本家が檀家となる柴木山・吉祥寺で5月3日には大祭が行われており
今年から我々も参加させていただくことに。
ありがたい読経の後は、大護摩祈祷そして無病息災を祈りながらの火渡り(燃え終わった炭の上を歩く)に、餅まきと老若男女入り混じっての大にぎわいでした。
しかしながら、鎮火したばかりの炭の上を誰よりも先に歩きたいという
アトリエ山本集ならではの気性が災いしたのか、スタッフみんなの足の裏には水ぶくれが!!
来年は、残り福狙いで最後尾を歩きたいと思います(汗)
皆さんは、どんなゴールデンウィークをお過ごしですか?

ウエストサイズ100cm越え!

アトリエのデスクの上にあるコルクボード。
そこには、アトリエを運営する様々な資料が貼り付けられています。
その資料に紛れて、この2枚の写真が、「仕事サボったらあかんど」と
言わんばかりに、私たちに睨みを聞かせています(笑)
ご覧の通り、1枚は関西空港に飾られている500号の富士「雄渾」を前にしたもの。
そしてあと1枚は、何かインタビューに答えているような場面です。
いや、私が言いたいのはそのお腹周り!!
もちろんウエストサイズは100cmをゆうに超えていました。
確かこの頃の洋服のサイズは5XLだったように記憶しています。
普段ならデザイン以前にサイズ優先で洋服を買っていたはず。
そんな山本も、「両国では選び放題や!」とほくそ笑んでいたことを思い出します。
強面の顔からは想像できないかもしれませんが、自分で着る洋服には
相当こだわりがあったようです。
山本亡き後、衣類を整理していると出てくる出てくる洋服の山!
享年72歳。
紫のコートに、ピンクのシャツ、黄色い短パン・・・
恐れ入ります。

ご無沙汰しています

ブログの更新が滞るのはいつものことながら、
今回ばかりは半年もの長きに渡るご無沙汰となっていまいました。
皆様には、お代わりございませんか?
この半年もの間に、わが町奈良県五條市には新しい顔が生まれ
また今までとは違う大和五條の町並みをお届けできたにもかかわらず・・・
山本が生きていたなら「ちゃっちゃとせえや!!」と叱られましたね、確実に。
いやはや、言い訳を書き連ねますととうとうアトリエのパソコンが
寿命を迎え、新しいパソコンを迎い入れるまでに時間がかかった。
ただそれでけなのです(大汗)
(ますます山本に怒鳴られます・・・)
今のご時世は、スマートフォンの普及でもっと簡単にブログを更新する
手立てがなかったわけではありませんが、やはり山本の遺した作品をご紹介するにあたり
スマホでは物足りない部分もあって、今日までのびのびになってしまいました。
つきましては、たくさんのリクエストをいただいておりました
オンラインショップの方も、再開していきたいと考えています。
どうかお付き合いのほど、よろしくお願いいたします!