●8.四苦八苦して五万円を集める

 「金なんかどないでもしてやるわ。ワシに任しとき」
とハリ(張本勲)に大見栄を切ったのはいいが、当時の金で5万円もかかる。
これはハリも知らんことやし、もう時効やから初めていわせてもらうが、
まず、大阪のゴンタ(不良)仲間集めてバクチをした。
トランプのオイチョカブや。
ワシが親で、カード配って金賭けさせる。そないしたら、
「カブや!」いうのが出てくる。
みんなの手札を見させてから、ワシはおもむろに、
「クッピンや(カードAと9で親の総取りになる)」いうて賭け金を全部取る。
もちろん自分の手札は見せない。みんなワシが怖いからよう文句も言えん。
ワシの手札がカスばっかりでも連戦連勝や。
 けど、しょせんゴンタの学生相手のインチキバクチでは、5万円も集まらん。
当時、ワシの若い衆みたいなのが10人くらいおった。こいつら集めて、
「オイ!恐喝でもなんでもしてこい。とにかく金がいるんじゃい。行け!」
ゆうて、四苦八苦してなんとか金を集めた。
こうして5万円が集まった。ハリには、「親から借りた」
ぐらいのことゆうて金渡したんとちゃうか。
こないして、とにかくハリは在日韓国人の野球チームに入って韓国に遠征した。
向こうの新聞にハリがホームラン打ったと写真入りで載っとった。ほんまにうれしかった。
これがハリの甲子園やった。
プロからも誘いがあって、本当はハリは巨人に行きたかったんやが、東映フライヤーズに行った。
ワシが極道しとる時、ハリは巨人に移籍したが、この時、ワシは刑務所におった。
「ハリ、やっと念願がかなったのう」
と思うと、鼻柱にクーンと、五感の血が集まって暑くなりよったもんや。
 東映フライヤーズに行くと決まって、球団から3万円の給料がもらえるゆう。
そのころ、3万円いうたら、サラリーマンの半年分の給料や。
いよいよ契約金の話になった。ハリは、
「10万円くらいくれるかな」不安げに、ワシに聞いてくる。
「早実の王貞治が、何百万円と騒がれとる。オマエは日本一なんやから、同じだけくれと言うたれ。
面と向かって言えんかったら、横向いて言えや」と言うてやった。
ほんで200万円もらった。びっくりしましたわ。
 そして、いよいよハリが東京へ行く当日、先輩や後輩やみなで大阪駅へ見送りに行った。
ところが、ワシらがケンカした大学生たちが集まっている。
「ハリをこのまま東京へ行かせるもんか。東京へ行かせん、ハリだけエエカッコさせん」
とゆうてる。そやけどハリを東京へ行かせんわけにはいかん。
この時こそワシの出番や。
「よし、アンタらも大学生や。ワシはハリを行かせんわけにはいかんのや。
どんな話でも受けるから、ここはひとつアンタらも男として、恨みつらみは別として、
行かしてや、行かしたってくれや」
と大勢のいる前で地べたに頭をつけた。さすがは大学生や、
「分かった」とゆうてくれた。
ワシは後にも先にも地べたに頭つけて頼み事をしたのはそん時が初めてや。
そんな時でも、さすがにハリや。えらい能書きを言いよった。
「浪商の張本も男です。今度帰るときは必ず錦飾って帰るから、見とってくれ」
大勢に見送られ、ボロボロ涙流して別れたんですわ。
智辯学園野球部初代監督に就任
 ハリ(張本勲)は念願のプロ野球選手になったが、ワシは甲子園にも行かれへんかったし、
プロ野球からも声がかからん。ゴンタばっかりやっていた。
何度も停学になって、本来なら放校処分になってもおかしくないぐらいのワルやったけど、
まあなんとか浪商を卒業させてもろうた。
 けど、こんなワシにもスカウトは来た。大学の空手部や応援団からや。
プロ野球の選手になりたくて大阪に来たのに、こんな話、人にゆえん。
やっぱり、まだ野球に未練があった。
 ちょうどそん時、ワシらをかわいがってくれた浪商の中島前監督が、
大阪の経済大学の野球部の監督をしとった。まあ、この大学の野球部は弱かったが、
監督の顔もあるし、経大で野球をやろうと思った。
そないして大学出て田舎にでも帰り、体育の教師でもなろうと考えた。
 入学する前に、経大の野球部へ練習いうんか、遊びに行った。
「浪商のヤマモトアツム」ゆうたら、
当時、大阪のゴンタの間じゃ知らんもんはおらんぐらい有名やった。
大学生の先輩達は一目置いてくれるどころか、上手さえゆうてくれた。
ある日、練習を終えて部室に行ったら、先輩が後輩をシゴいていた。
10人くらいで、2人の1年生をどついておった。
ワシはシゴキは好きやが、大人数でやるのは好かん。これは単なるいじめや。運動部の男のやることではない。
 それでワシ、とっさに、「もうええやないか」と止めに入った。
相手もワシと知りながらも、やっぱりカッコつかんと思ったんやろう。
「何や。おまえまだ入学しとらん高校生やないか。口挟むんやない」
こないゆわれて、カーときてしもうた。ワシ、中島先生の事も忘れて、
そこらにあったバット拾うてその先輩方、みんなをひっぱたいた。
そないしたら先輩の一人が二十何針縫う大けがしてしもうた。大問題になった。
「アカン、中島先生に合わす顔がない」
こない思うたが、もう手遅れや。
これで大学で野球する話も、大学を出て教師になる話もみんなイッペンに消えてしもうた。
 こんなことがあって、ワシはんまに反省した。
「ゴンタも、年貢の納め時や。ワシも親孝行せにゃしゃあない」と思うて、
神戸の材木屋に丁稚に行った。
ほんでもワシ、なんかあるとすぐカッとなる瞬間湯沸かし器みたいな性格でっしゃろ。
材木屋に入って14日目に集金行かされた時、この息子が、これまたゴンタで、
オヤジに金たかっとった。
このオヤジもゴンタの息子になんぼでも金渡しやがる。
「エエカゲンにせんか。オマエ、親のカネ取るな!」
ゆうて親の前で、ゴンタの息子ド突き倒してしまったんや。
それでもう材木屋の親方んとこえ帰れん。得意先の息子、ド突いたんやから。
しゃあないからその足で故郷の奈良へ帰った。
 実家も材木屋やってたが、毎日ブラブラして、暇と体力持て余して、またケンカや。
警察が来て、公務執行妨害やら傷害やらで捕まってしもうた。小さい町のことやから大騒ぎですわ。
親が情けない顔して、警察に呼ばれた。
身柄を引き受けてもろうたが、警察出て、信号待ちしてる時に逃げたんや。
 それから、丸善石油に入って社会人野球をやったり、まあいろいろなことがあった。
でもやっぱり野球がしたいゆうんか、未練があった。
そないしてたら中学の恩師から、
「今度、智辯学園ゆう高校ができる。そこに野球部も作って、熱入れるゆうとる。
アッちゃん、心入れ替えて監督やってみんか。一回、そこから甲子園行きや」
と言われた。
 24,25歳のころだった。うれしゅうて、そりゃあ張り切った。
ところが、智辯学園に行ってみたらグラウンドゆうてもタンボならした石ころだらけのところだった。
部員も150人くらいおったけど、みんな1年生で、しかも野球どころか、
キャッチボールもしたことないような連中ばっかりや。
「どないしたらいいんや」
とさすがのワシも途方に暮れてしもうた。

●7.出場停止に自殺まで考える

「甲子園に出れんのやったら、死のう!」
ハリ(張本勲)とそう言い合って、深夜の淀川べりを歩いた。
ワシもハリも甲子園に出たい一心で、親兄弟の反対を押し切って浪商に来て、
シゴキの練習に耐えてきた。
それが突然、1年間の公式試合出場停止や。
目の前が真っ暗になった。生まれて初めての大ショックや。
「死のう!」
ゆうたんはワシの方からか、ハリの方やったか忘れてしもうたが、ほんまにそう思い込んだ。
それでや、ユニホームのポケットに淀川の河原の石を目いっぱい詰め込んで、
そのまま淀川に飛び込もう言い合った。
今、思うと笑い話にもならん。
けど、ひょっとするとワシもハリもあん時で死んでしもうたかもしれん。
今でこそ殺しても死なんような顔してますけどな。
 ところが、自転車で巡回しとるお巡りさんに見つかってしもうた。
「コラ!お前ら何しとる!」ちゅうんですわ。
なんか、高校生がゴンタしとる思うたのかもしれない。
それでお巡りさんに泣きながら事情話した。
そのお巡りさんも九州出身のエエ人で、屋台のラーメンごちそうしてくれながら、
「ワシも田舎から出てきて、この仕事に入ったけど、いやなことばかりや」
と、人生観とやらを論してくれた。そして、家まで送り帰してくれた。
 家に帰っても口惜しくて涙が止まらん。
四畳半の畳かきむしって、10本の指のツメから血が出るほど泣きましたわ。
 ワシやハリは、浪商野球部の1年生の中から10人ほど選ばれたうちに入っていて、
たまたまバッティングやノックもさしてもらえる有望選手だった。
当時の中島春雄監督にも気に入られてた。
ところが浪商が1年間の出場停止くろうて、監督が代わった。
新監督は真面目すぎるほどの人や。そうすると監督にも好みゆうもんがある。
なんとなくワシやハリはのけもんにされるようになってしもうた。
大阪の人間は口だけは達者や。
ハリもワシも田舎もんやから、ようしゃべられへん。口が出る前に手や足が先に出てしまう。
 やっと2年生になった。
今までさんざん上級生にシゴかれてきたから、この時とばかりに新入生をシゴいた。
ワシなんか先頭たってシゴいた。
ところが、新監督はこのシゴキを怖がって、すぐに、「やめとけ」と言う。ワシかて素直に聞かん。
「なんでや。シゴキが浪商野球の伝統やないかい。ワシらかて加減してシゴいとるわ」
新しい監督に何か言われると監督に食ってかかる。
野球のことやったら、中島監督のところへ相談に行く。
新監督にしてみれば、頭越しにされた思いますやろう。で、余計、目ェつけられる。
「そんなら休部や」
「オオ、上等や」
どうせ甲子園に出られんのや。かまへん。
そないしているうちに、ワシは練習行かんようなる。時間と体力持て余す。
街へ出てヨソの人間とケンカする。
こないしてワシのゴンタが始まった。
けど、そんな時でもハリは一人で黙々と練習してましたがな。
甲子園出場をスタンドで応援
 浪商の野球部が1年間公式試合出場停止になって、ワシのゴンタが始まった。
どうせ試合はできんのやから、と練習サボって街に出る。
なんせ目立つから、不良しとる連中にガン飛ばされる。
すぐケンカや。
体力を持て余しとるから、必ず勝つ。
それで自信ができて、またケンカしとうなる。相手はヤクザでも大学生でもかまわん。
 そのうち ″浪商のヤマモト・アツム″ゆうたら、
大阪のゴンタの世界では知らんもんはおらんようになった。
 ハリ(張本勲)もケンカは強かったが、やっぱりあいつの頭の中には野球しかなかった。
ワシらが3年生になったとき、やっと出場停止が解けた
夏の大会に備えて、また猛練習を始めた。ともあれ、あこがれの甲子園や。
 ところが、ハリとワシは突然、監督に呼び出され、
「チームから外す」言われてしもうた。
「なんでや!」
ハリもワシも食ってかかった。しかし、もう休部扱いされてしもうとる。
ハリが暴力事件を起こしたちゅう情報が流されたが、これはデタラメや。
 今になって考えてみれば、ワシはゴンタやって停学にもなっとる。
ワシとハリは大の親友やったし、一緒にワシの家に住んどる。
それで、ハリも同じように見られてしもうたと思う。
シゴキと部員のケンカが原因で1年間の出場停止が解けた直後に、
またワシがケンカでもしたら、また出場停止や。危険分子を遠ざけておこう思うたのやろう。
 その年、浪商は大阪の地区大会で優勝して、甲子園に出場した。
昭和33年のことや。ワシとハリも涙流しながらスタンドで応援しとったが、
1回戦で魚津高校に2対0で負けてしもうた。
だれかれなく、
「ハリがいたら負けんかった。優勝しとったかもしれん」とゆうとった。
確かにハリが出場しとったら、ほんまにホームランの記録作っとったやろう。
高校生のレベルは超えとった。
こないして、ワシらの浪商野球いうんか、甲子園の夢は終わったんや。
 その直後やったろか、ハリが
「アツム、相談ある」とマジな顔でゆうてきた。
「なんや」ゆうたら、
「実は、オレ韓国人なんや」ちゅうんですわ。
初めて打ち明けられて、
「えぇっ?」
とワシも驚きましたがな。
それで、在日韓国人ばっかりで野球チーム作って韓国に遠征すると言う。
「オレの最後のチャンスや。オレの甲子園や。行きたい。何が何でも行きたい」
と、ハリは真剣に話す。
 しかし、行くには当時の金で5万円いるという。
高卒の給料が6000〜7000円の時代に、高校生がおいそれと作れる金やない。
けど、ワシはこうゆうた。
「行けや。金ぐらいどないでもしてやろうやないけ。ワシに任しとき!」

●6.ハリ(張本) との出会い

 シゴキの浪商で、ものすごいヤツに出会った。
野球部の新入生の中に、今は野球評論家の張本勲(元巨人軍)がおったんや。
きつい練習が終わって、夜、銭湯にいったら、ごっついガタイの男が風呂に入っとった。
「どっかで見たヤツやなぁ」とワシが思い出そうとしたら、そいつもワシを見て、同じ様な顔しよる。
そや、浪商野球部の同級生やないか。
野球部ゆうても新入生だけで400人もおるから名前が分からへんのや。
「おまえ、浪商野球部のもんやないか。オレは山本集ゆうんや」
「オレは張本勲だ。広島から来た」それがハリとの出会いやった。
それから、お互いに「練習つらいのぉ」という話になった。銭湯帰りに、ハリの下宿に寄った。
そないしたら机の上にアルミの弁当箱があった。遅い夕飯や。
弁当のおかずみたら、かまぼこの焼いたやつと梅干しだけというわびしいもんやった。
 ワシの方は、姉が京都の大学行っとったんで、奈良で材木屋をやっとるオヤジが、
ワシと姉のために浪商近くの淡路の小さい家を買うてくれた。
それで姉と二人で住んどった。考えてみれば恵まれた生活や。
 でも、ハリは想像もつかんくらい苦労しとった。早い話が貧しかったんや。
家からの仕送りゆうても、ハリの兄さんかなんかが給料から送ってくれていたわけや。
だから、ハリは下宿代払うたらほとんど残らん。
15、16歳の野球やっとる者が、三度のメシを腹いっぱい食うても、すぐに腹が減る。
ハリはいつも腹減らしとったんとちゃうやろか。
 それで、ワシの家の2階が空いとったから「なんやったらウチへ来いや」
ゆうて、それから一緒に住むようになった。
一度、実家の姉からハリに来た手紙をこっそり見てしもうたことがある。そしたら、
「私らは銭湯へ行くのも節約して、お前が立派なプロ野球選手になる日を楽しみにしている」と、
こないなことが書いてある。ワシも子供心に涙流しましたわ。
 でもハリの練習はすごかった。
家へ帰った後も毎日、バットの素振り500回やるノルマを決めた。
野球やった人なら分かるやろうが、100回でもきつい。
それを500回やる。それが終わると体力的にも精いっぱいなのに、
ハリは、「まだ、やろう」と言う。
「まだやろうて、約束が違うやなあいけ!」ワシがヘトヘトになって布団に潜り込んでも、
ハリはまだバットを振り続けるんや。布団の中に入ったワシの耳に、
「ビューン、ビューン」というハリのバットの音が聞こえてくる。
 やがて、ワシの隣の布団にハリがそっと入ってくるが、手のひらはズルむけや。
手を握ってられへんから、手を開いたまま夜風に当てて冷やしながら寝とる。
「すごいヤツがおるなあ。こいつの根性にはさすがのワシも負けや」と思うたがな。
ハリのハングリー精神は、さすが
野球もそやろうけど、なんでも才能だけやったらアカン。
よく「熱心や」ゆうけど、それでもアカン。
人に狂人やゆわれるぐらいでないとアカン。死に物狂いでやらんと、なんでも一流になれんのや。
それをワシに教えてくれたのが、ハリ(張本勲)やった。
 ハリの実力は1年の時からずば抜けておった。浪商のレギュラーなんか問題にならん。
甲子園にも出た先輩ピッチャー相手に4打席4ホーマーしたほどや。
 しかも実力だけじゃない。人の3倍は練習をやる。
このハングリー精神には、さすがのワシもかなわん思うた。
 ハリとワシの前にリンゴが1個あった。食いたい盛りや。一人で食いたい思いますがな。
普通は「まあ、半分ずつにするか」と分けるが、
ハリゆうのは「自分が全部もろうてええか」と断るやいなや、まるごと1個食うてまう。
なんちゅうヤツやと思いますやろ。でも、違うてた。
ハリはプロ野球選手になる目標のためには、今このリンゴを食うんやゆうて食ってしまう。
他人からどう思われようが、そんなもん気にせんのや。
 一流になるには、そのくらいの決意が必要ゆうことや。
一流になれんヤツほど他人に気ぃ使う。お世辞も言いよる。
本物の一流になる人間は、他人なんぞに気ぃ使うてる間がない。
そして、自分が一流になってから他人の面倒見るんや。中途半端はアカン。
中途半端じゃ他人の面倒も見れん。これが、一流と二流の差や。
 浪商を卒業して、ハリは当時の東映フライヤーズに入団して念願通りプロ野球の選手になった。
ワシは不良しとって、しまいには極道の道に足を突っ込んでしまった。が、
ハリはいつもワシのことを心配してくれとった。
 いまワシは極道から足を洗って、絵を描いとる。それを知ってハリはなにくれとなく
ワシが画家になったのを宣伝してくれる。ありがたいこっちゃ。
あの時の1個のリンゴは惜しかったが、今のハリの言葉はリンゴ100個や200個できかんほどや。
 浪商時代の野球友達は結束が強い。
ワシに絵を描くように勧めてくれた実業家の谷本勲も浪商野球部の同級生だった。
「なあ、アツム、いつまで極道やっとるんや。
昔から絵が上手やったんやから、絵でも描いたらどうやねん」
この言葉で、ワシは絵を描き始めたんや。
 そんなワシらに一大事が起きた。浪商野球部のシゴキが社会問題になったんや。
その上、学校サボって街でケンカした選手が補導される事件まで起きた。
ワシらはみんな親兄弟の反対押し切って、
「甲子園に出たい」「プロ野球選手になりたい」
と思うて、浪商に来とる人間ばっかりや。それなのに、
シゴキ問題に野球部員のケンカがかさなって1年間の公式試合出場停止になってしもうたんや。

●5.野球の好きな女の子のために野球少年に

 殴り込みの話ばかりが続いたが、ワシはもともと野球少年やったんや。
野球を始めたのは、中学の時やった。奈良県五條市の田舎育ちで、
バットなんか握ったこともなかった。
中学で好きな女の子ができて、その子が野球が好きやった。
それで野球部に入った。根が単純なんや。
 好きになった子のお父さんは画家やった。
その子は絵が上手で、頭が良くて、いつもクラスで一番やった。
単純ついでや、ワシも絵を描くようになった。
いつも二人で絵の賞をもらう。それがうれしくてうれしくて、ほんまに純やった。
 大人になって極道の道に入ったが、いま画家をやっとるのも、
その当時の潜在的な記憶があったからかもしれん。
 野球部じゃ、ワシは体が大きかったからピッチャーになった。
コントロールは悪かったが、スピードはめちゃめちゃ速い。
けど、とにかくストライクが取れん。それでオーバースローから、サイドスローに変えた。
これでどうにか試合で放れるようになった。
試合になったら、相手は三振かフォアボールや。相手はバットにもかすらん。県大会にも行った。
それで、将来はプロ野球の選手になったろうと思い、
親兄弟の反対を押し切って、大阪の浪商に入学したんや。
 当時の浪商ゆうたら全盛期や。甲子園では何度も優勝しとったし、
浪商からは坂崎 和彦(巨人)や山本 八郎(東映)と憧れのプロ選手がたくさん出ていた。
浪商に入れば甲子園に行ける。そしてプロ野球選手になれる。
そないしたら、大好きな彼女もオレのことを気に掛けてくれるやろう、
ひょっとすると結婚できるかもしれん。こんな夢を描いておった。
 大阪に初めて行った時、女の人が、マニキュアつけてハイヒール履いて歩いているのを見た。
あんまり珍しいから後をくっついて歩いとったら、お巡りさんに怒られたことがあった。
そんな純情な時がワシにもあったんや。
 憧れの浪商に入ってはみたものの、新入生400人のほとんどが野球部に入っとる。
レギュラーになるどころか、新入生だけで40チームはできる。
そやから、新入生はバットはおろおか、ボールにも触らせてもらえへん。
毎日、淀川のランニングや。それで上級生がちょっとでも気にいらんことがあれば、
バットでケツを思いっきりひっぱたかれる。「ケツバン」や。
脳天までズーンと響く痛さや。浪商名物のシゴキやな。
ケツがはれあがって、銭湯行っても前は隠さず、手拭いで後を隠して風呂に入ってたくらいや。
 厳しい練習の中、淀川べりを走っとって、夕焼けで西の空が赤うなってきたら、
やっぱり、田舎が恋しゅうなる。まだ15の子供や。今の言葉で言うたらホームシックやな。
極道になって刑務所に入った時もそうやった。何度か懲罰房に入れられたこともある。
小さな窓からイワシ雲が見えたり、真っ赤な夕日が差し込んでくると、故郷を思い出す。
夢見るのもガキのころのことや。
 40歳になってヤクザの親分しておった時も、
やめて絵を描いてる今でも夢の中に出てくる女の子はセーラー服姿なんや。
 けど、ヤクザいうのは、そんなカッコのええもんと違う。見栄と虚勢の世界や。
鬼みたいな顔しとっても、心の中では虚しさと侘びしさでいつも泣いている。
一年前から画家として絵を描いとるが、どうしても故郷の風景が頭に浮かぶ。
桜の花が一斉に咲き、山中が桜に埋め尽くされ、秋には紅葉する山を思い浮かべると、
たまらない気持ちになる。ワシの絵の赤い色使いを、ある人は、「血の色のようだ」と言った。
そうかもしれん。カッコよすぎるが、ワシは自分の血を流すつもりで絵を描いとるのや。

●4.女のことではヒモ男ともめ事

 これもヤクザやる前の話や。
寿司屋と庭石屋をやっている時に、奈良の生駒ちゅう遊郭によう遊びにいった。
ただ同然の庭石を売りにいって、帰りにそこによって散財する。
たまたま、気に入った女が一人おった。
 
 アケミゆうちょっと頭は悪いが、純な若い子ですわ。
ところがヤクザのヒモがついておった。
どこえ遊びに連れていっても、なんかビクビクしておって、すぐに帰りたがる。
それがまたたまらずカワイかった。
「そんなモン、別れぇ。極道なんて、男のカスじゃ、別れてまえ」と言うても、
「いや別れられへん」
「そないに向こうの男がやさしいんか」 
「いいや、怖いんや」
よし、そんなもん、相手を探して話をつけてやる。
 イカサマバクチをやった親分のとこや、ヤクザの金融屋のところへ殴り込みに行ったりしていた。
ヤクザもんなんか、ちいとも怖いことない思うてた。
その頃は怖いということを知らん、無鉄砲を絵に描いたような男やった。
 女房と結婚したばかりの頃で、その遊郭のアケミのことがこじれて、
家へ連れて帰らないかんことになった。
女房に、
「おい、この子、アケミゆう子や。不憫な子や。なんぞおいしい物でも作って食わしてやってくれ。
今夜、泊めてやってくれ」
 女房はワシの若い衆の女やと思うたらしい。
袖を通しとらんサラの寝巻を着せて、一番風呂に入れて、それはそれは、やさしくしてやってくれた。
 それから、ワシは庭石屋の若い衆連れて、地下足袋はいて、相手の男を捜しに大阪へ行った。
ちょうどそん時、相手の男も、オレのことを気にしていたらしい。
女が最近、よう金稼ぎよるし、時々、外泊しよる。
蛇の道は蛇や。だてにヒモをやっとらん。「どんな男ができたんや」と思っとったらしい。
 ワシのこと調べて「奈良で寿司屋しとるガキやないか。それやったら金とったろかい」
と狙いをつけてきよったらしい。
 そんな事も知らんで、ワシは勢い込んで大阪へ行った。ところが相手の男は家へ行ってもおらん。
その男がよく行くゆう飲み屋や雀荘にもおらん。組事務所にもおらん。
「なんやねん、どこへ行きよったんや!」
さんざん探してもおれへんので、家に帰ることにした。そないして寿司屋の前まで来たら、
運転手が、「おやっさん!外車が2台来とりますわ!」といいよる。
神戸ナンバーと大阪ナンバーのアメ車が止っとった。
 アケミのヒモやっとるヤクザが大きい顔して寿司食っておる。他のお客さんが小さくなっておった。
「おやっさん、お帰りやす」と店のもんが言う。
おかしな雰囲気やから、うちとこの若い衆も寄っとったわけや。
山刀をサヤから抜くなり振りかざす
「おう、おまえがここの親方か。生駒のアケミのことで来たんやけど、
あれ、えらい大事にしたってくれとるらしいやないか」
こっちも探していた、ヒモやっとるヤクザや。
「ああそうでっか。そのことで来てくれましたんか。
ここは寿司屋でっさかい、その話やったら中へ入っとくんなはれ。
関係ないもんはクルマにでも乗って待ってておくんなはれ」
その男を座敷に上がらした。ワシはそん時、もうすでに頭に血がのぼっとった。
 うちの若い衆に、
「おい、入口、締めてしまえ。五寸クギ打ってまえ」こないゆうた。
うちの番頭しとるヤツが、
「あんたはん、どこのどちらはんか知りまへんけど、
そんな話でここに来て、下手打つことおまへんやろな」いうた。
 ワシは話し合いのルールもクソもあるかい、遊郭の女、金で買うて何が悪い。喜んでもらうのが筋やろ。
このガキ、ブチ殺してもどうっちゅうことないわいと思うた。
そのヒモも勝手が違う思うたんか、急にそわそわしだして、
 「どっかの組織の人でっか」 と聞いてきよる。
 「ワシは極道とちゃいますけど、極道やないと話ができまへんのか。
ワシは寿司屋と庭石屋の親方しとるもんやが、どうぞ話聞かせてください」
低姿勢にゆうた。
このヒモ男もそれで安心したのか、見栄ををきった。
 「女はワシにしたら命の綱、しのぎや。
持っとる茶碗叩かれるようなことされて、ワシの男が黙っとれへん」
えらい口の達者な男で、こうぬかす。
 「コラッ、おなごを働かして何をぬかすんじゃ!
おなごに金稼がしておいて、おなごの汁すうて、なにが男じゃい!」
 ワシ、もう切れてもうた。ぷっつんや。わけがわからんようになってもうた。
まず、寿司屋の湯呑み茶碗をヒモ男の頭めがけてバーンとぶん投げた。
なんや、かわしよる。余計に頭にくる。
アホな人間ゆうのはこういうもんや。うちの若い衆に、
 「オイ!山刀持ってこい!」
もう止まらん。うちの若い衆も若い衆や。
待ってましたとばかりに山刀を放り投げてよこした。こうなればやることはたったひとつや。
サヤから抜くなり、山刀を振りかざす。
 「ブチ殺したるわい!」
そのヒモ男は、3メートルぐらい座ったまま後へ跳び下がりおった。
 「ちょっと待っておくんなはれ」
 「待ってくれやと!おのれ極道やろ!」
 「いえ、堅気です」とぬかしおった。
気抜けてしもうた。けど怒りはおさまらん。
 「なんやと、腕ぶち切ってまえ!」
 うちの若い衆も、お調子もんゆうか、心得たもんゆうか、すぐに男を取り押さえにかかる。
 「堪忍してください、どんなことでもします」 そないゆうて頭を、テーブルに突っ込みよる。
 「あほんだら!おんどれが注文つけにきたんやないんか!」
 「金も払います」
 「オレは金くれゆうたか!」 余計頭にきた。
 「アケミとも別れますから」
と泣きよる。泣くヤツの腕は切れん。
けどワシは、何もかも気に食わん。やつらが着ている背広も、乗ってきたどえらいクルマも気に入らない。
ワシの若い衆も同じ思いやったんやろう。
表の2台のアメ車をガラス全部割って、クチャクチャにしたうえで、
ヒモ男と一緒についてきたチンピラをド突き倒しとる。
今度は女の方をしゃっきりせなあかん。
 「よし、女と別れるゆうたな。今後、一切、手ぇつけなや。そのかわりオレも別れたるわい、忘れたる」
 あとのこと考えんとえらいことゆうてしまった。なんでアケミと別れんならんのや。
ええカッコしいだけや。けど、もう引っ込みがつかん。
女房にゆうてアケミを呼び寄せた。アケミが今まで腐れヒモ男に、200万円貢いだゆうから、
 「それ払うたれや、あんばいようしとけ」
とゆうてヒモ男に一筆書かせた。
ヒモ男達はフロントガラスも割れてガタガタになったアメ車で帰っていきよった。
 ところが、このいきさつが女房に全部ばれてしもうて、しばらく口も聞いてもらえんかった。
ほんまに男の見栄ゆうのは、いつの時代でも辛いもんや。